無空さんのセッション86回目








青さん

感想ありがとうございました。


無空さん

いつも

あたたかい

セッションをありがとうございます


ここにいました

外の小鳥の声が聞こえていました

わたししかいません

平和で

あたたかく安心のここでした

ありがとうございます





先に一週間の事を聞いて頂きました


身体を大切にして欲しい(ピルはやめて欲しい)

心を大切にして欲しい(人生をあきらめて欲しくない)

本当の幸せに向かって欲しいという切実な願いが苦しかったです

いいえ

自分自身も

同じような問題を抱えているのかもしれません


そのことの

解決方法はひとつではありませんが

根本に

ここを知っていることは本当に大きいです

そうですね。

在り続けます

在り続けます



話は変わりましたが

かなり力が抜けて

自分自身であるところで

自由に動くということは

周りにとても大きな動揺を与えるなあ~~って思っています

仕事を始めだしたことや

夏休みに5泊6日で次男と旅行に行くことなど

ちゃんと話してはいるのですが

どうも旦那さんは私の変化についてきてないようですね。。。

頭が分かるのに時間がかかるといったところでしょうね

そうかもしれませんね。





さて

始めの共鳴は

果てしなくフラットでした

フラットは、在るのひとつの質、側面、在り方ですね。

(同時に、在るは、奥行き、深み、厚み等がある広がりそのものでもあり、

また、点としての在り方もあります。

在るは全ての全てであり、そこには無限の在り方があります。)

そこには、隆起、波がなく、ぶつかるもの、ひっかかるものも

何もありません。

すべてが滞りなく流れていきます。

また、それは、“「する」ではなく「在る」”、

“本当は、何も起こっていない”

などの言葉、表現のように、

それが分かる人には、すべての様々な波を、一瞬にして静める(無に帰す)力、

さまよってたり、巻き込まれていた自己、あるいは、意識の焦点を、

本来の居場所、在り処に帰す力、戻す力があります。

さらには、そのフラットな在り方であれば、でこぼこがなく、一部の設置面だけでなく、

全面(全体)で、触れるすべてを、ニュートラルに、あるがままに感じることができます。

(触れるものすべてを、ニュートラルに、あるがままに感じる在り方は、

透明であること、形なき柔らかさそのものであること、全体そのものであること、

ただすべてに開いている開きそのものであること等の側面からも見ていくことができます。)




アイコンタクトは

秘かに

秘かに

愛でした

それも愛そのものでもある在るの在り方のひとつですね。

その秘か性ゆえに、多くの方がこの「在る」という愛の在り方に

なかなか気づくことができません。

また、それは、もっとも価値があり、もっとも大切なものであるがゆえに、

それ自身により、大切に大切に守られている、

という言い方もできるかもしれませんね。


瞑想は

いきなり

ここ自宅を感じていました

その後

考え事をしていたようです

そして

強烈に自分自身でした

ほかに誰もいません

そこには、自己を認識している意識、自覚している意識、

それ自身に気づいている意識だけがあります。

それは、リアリティ、純粋な気づき、純粋な主観性そのもの、真の自己、在る、愛です。

それ以外、変わらずに実在しているものは何もありません。

それが唯一の実在です。


引き込まれた瞬間終了~~~でしたね

在る(無・空・愛・全体)には、無限の引き込み力があります。

そこにすべてが帰っていきます。

そこにすべてが溶けていきます。

そして、そこから、同じ在るの本性により、すべてが新生、再生し、新たに起こっていきます。





ハートの共鳴は

先のお話で涙していたところに

愛が

染み入る感じでした

深い愛情です

愛そのものでもある在るは、すべての現れの源であり、

すべてに対して、絶対的な親和性、親和性を超えた親和性、

あるいは、すべてに対して、完全に同質であり、絶対的な浸透性、一体性があります。

その性質により、愛(在る)はすべてのものに浸透し、染み入っていきます。



立場を変えては

深い神聖さの

原生林のそのまた奥の感じでした

奥深いものを感じ取られていましたね。


立場なし・ニュートラルは

どんどん

頭の中心が痺れていきました

彦の泣き声が

気になっておりました。。。

全体の中で起こることが起こっていましたね。




今日もかけがえのない

素晴らしい時間をどうもありがとうございました









ありがとうございました。

無空











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合同共鳴ありがとうございました



しみっちさん

rubyさん

合同共鳴お世話になりました

ありがとうございました


抜け切って

大空のような共鳴でした

明るさと軽やかさを楽しみました

また

言葉には本当に変えることの出来ない

美があります


ありがとうございました











無空さんのセッション85回目



青さん

感想ありがとうございました。



無空さん


セッションをありがとうございました


いのち深く

整う日々です

ありがとうございます


お話損ねましたが~~

先週は感想のご返信をいただき泣き出して

あああ浄化だったんだとあとで気がつくようなありさまでした。。。

自分自身の巻き込まれ方は

本当に自分自身で気づくのはなかなか分かりにくいですよね

そのためのセッションでもありますし、

また、大きく言えば、多様性として現れているこの世界があるとも言えますね。




このように

無空さんとお話させていただくことは

根こそぎ要らないマインドやクセが浮き彫りになってくるようなところがあります

自然、シンプル、軽やかさ、透明、純粋性、クリアさ、真・善・美等に触れると、

そのようなことが自然に起こりますね。


その時というのは

無空さんに対して否定的な気もちになっていたり

逆に頼り切ってしまっていたりと

感情面などではかなり激しく出てきたこともあります

そして、出てきたものは消えていき、よりクリアになり、

自己理解も深まり、より安定感が増してこられましたね。




その一方

深い理解は射し込まれていたりするのですね



「在る」がそれ自身で立つ


ということですね

はい、それだけが在るとき、それは、自らにより立ちます。

それがそれ自身に覚醒し、真のそれ自身を思い出します。





ありがとうございます



最初の共鳴では

ますますいのち深くなってきているという実感でした

とてもいいですね。

その深まりは無限です。



アイコンタクトは

その時にお話しませんでしたが

サハスラーラを抜けていったエネルギーは

ハートに降りてくる

そのハートは真我自身で

その神聖さとともに深い愛を感じていました

素晴らしいですね。


アイコンタクトは

今までいつも吹き上がる

または吹き下がる

神聖さの息吹だったのです^^

その神聖さは

それを見る目

と同時に

見られている方でもあるのです

ただ在る(愛)

という時点そのものが

その目ということでもあります

はい。

このようにフォローして書いていただくと、

青さんがどのように感じ、理解されているのかが

より確認できます。



アイコンタクトの前に

愛(それそのもの・気づいている意識・目そのもの)コンタクトですと

アイコンタクトから起こってきていた理解をお話していたら

すでに深くアイコンタクトだった(^0^)ようです~

なので

何も起こってません

とお話しました

そこに注意、意識を向けると、すでにそれです。




瞑想は

深く愛

いのちの源



ハートの共鳴は

軽やかに

爽やかな 

です


立場を変えては

「愛してます」


立場なし・ニュートラルは

彩り

鮮やかな七色の光

でした


味わい深き彩りです

ニュートラルに、彩りを感じられるところは、さすが、味わい派ですね^^

ニュートラルの中には、それがまだ現れていない状態で、

すべての彩り、すべての味わいがあります。



いつも

変わらぬ

深い愛と

深い理解の光をありがとうございます

心から

感謝いたしております











ありがとうございます。

無空

















無空さんのセッション84回目


無空さん

ご返信をありがとうございました

頂いたとたん

号泣です


巧妙な個人攻撃をかけていた青のマインドは

わかりましたか?




わたしは

今泣きながら

そのマインドが感謝しているのが分かります。。。。



すいませんでした


ありがとうございます





追伸の

ブログの方のご返信もありがとうございました

苦しめられたという思いが

まだまだ残っていること

さらに未だに

そのエネルギーに苦しめられていることに

気がついていませんでした


握り締めているその手をみてごらん

と言われたようでした



許せない思いはこんなところにもありました







深い愛に解かれていきます

心から感謝いたします





















青さん

感想ありがとうございました。


無空さん

先ほどはセッションをありがとうございました

書ききれずにブログにも少し書きました。。。

どうぞお時間がございましたら

目を通してやってくださいませ(^0^)

はい、そうさせて頂きます。

クンダリーニエネルギー(チャクラ開発)に関しては

私自身は

クンダリーニ症候群とやらでも

苦しみましたし

もともと

そのエネルギーに関しては

疑問だらけで。。。

能力開発も絡みだすとややこしいものですから

この真我実現には不要のものと考えております

(そこに自然に注意が向く方でない限り)

特に注意を向ける必要はありません。

ラマナ・マハルシの本などにも似たようなことが書かれてあったかと思います。

気づいている意識は変わらずにずっと在ります。

それは、新たに獲得されたり、開発されたりするものではありません。



ただ

ブログにも少し書きましたが

このエネルギーが活性してきているようで(チャクラも含めてです)

クンダリーニエネルギー自体は

愛のエネルギーです

そうですね。

また、大きな視点から見れば、すべては愛であり、すべては愛のエネルギーです。


また

神さまの神聖さが

私自身と一体化しております

大きなエネルギーで包まれて

恍惚状態に入るという感じではないですか

(これは以前何度も起こっておりましたが。。)

ただ

それにも気がついている意識

その意識の方なんだという

ここ一番のところなのかな~~って感じです

そこがしっかりすれば、すべては統合され、すべてを包み込めるようになるでしょう。

そうでないと、現れに巻き込まれ、現われに振り回される可能性があります。

気づいている意識である現れの源がしっかりと主体となり、すべてが自然に統合されていけば、

すべての現れは、同等にそれ自身として理解されるようになるでしょう。

(必要なときには、自然な識別も起こりますし、同時にそれまでの現れの世界、

多様性の世界での習慣も自然に働き続けます。)



ただ

その気がついている意識というのは

それそのものなので

今ちょっと分けられない感じなんです

それそのものであるときは、ただそうであるので、

分けられないですね。

意識をここまでが意識で、ここからは意識ではないと分けることはできません。

愛を分割することはできません。

究極的には、ただひとつのもの(意識・愛・在る)だけがあり、

そこに識別作用が起こった時、分けるということが自然に起こります。

そして、識別作用が起こらないときは、

そこには分けられないただひとつのもの(意識・愛・在る)が在るだけです。

それそのものであることの直接体験、

直知による存在レベルでの理解等をさらに重ねた上での深く、

そして幅と厚みのあるトータルな自己理解が、

さらに存在全体を安定させてくれるでしょう。




さて

始めの共鳴では

大きな流れが起きました

真我が真我に気づいている愛です

愛の本流ですね。


アイコンタクトでは

今まで味わったことの無い共鳴でした

私自身が

大きく変わってしまっているからだと思います

エネルギーが

上から下から滝のように浴びせかかっているかのようでした

ゼロ意識共鳴では、そのときに必要なことが自然に起こります。

そして、それは適切です。




瞑想では


絶対の安心

絶対の安全

絶対の大丈夫の

真実の愛でした

ここです

ここです^^

はい、そこです^^




ハートの共鳴では

愛です

生まれいずるところ

いのちの源

愛です

それは大いなる慈悲深さを湛えておりました

よく感じ取られていますね。


立場をかえては

その真実の愛が

濃厚な透明感のなかに吸い込まれていきました

無空さんのいのちの中は(わたしたちのいのちの中でもありますが)

濃厚な何かだなって思っていました

明るく白い

透明な何かです

そんな風に感じていました

それは、純度が高く(あるいは、純粋性そのもの)、また満ちている絶対的な“何か”ですね。


立場なし・ニュートラルは

いきなり

雷が落ちたように

グラっとめまいのように感じ

大きなエネルギーが

尾てい骨まで貫いていきました

それもまた、共鳴により自然に起こったことですね。







セッション後

ちょっとだけ

嫌な気持ちが出て行きました



おおちゃくものの

傲慢ものの青だったかなって^^


クンダリーニエネルギーのことを

一生懸命聞きながらも

その開発には

全く興味がないどころか

この真我実現には

不要とさえ思っていることが

うまく伝わっていないことが

とても悲しかったです

本質は伝わってますので、大丈夫です。

必要と感じられたならば、このようにメールでフォローして頂ければ、

よろしいですね。



話すことは難しいですね^^

存在(沈黙)で語り合っていますので、大丈夫です。

ご自身から出た言葉、そして、それがどのように伝わるかからも

自由で在りましょう。

そして、もし必要があれば、今回のように、自然にフォローや、

確認、訂正等が起こるということも知って在りましょう。





さらに

自己実現に関して

その大きなエネルギーを自在に操りながら

それとはマインドのコントロールですよね

操るという立ち位置は、そうですね。

それそのもの(愛・気づいている意識そのもの)であることで、

自然に整う等は、コントロールではありません。

その在り方は、ただそうである、ただそのようになるということを

(絶対的に、そして、普通に)“知っている”というだけです。



その自己(願望)は叶うとか

叶わないとか

まったく真我実現とは関係ないですよね^^

大きな意味では、すべてはそれにつながっていくとも言えますが、

直接的な関係はないとも言えますね。

マインド(現れ)と真我(源)を識別してみる視点からは、

それは、真我実現ではなく、マインド実現です。

そして、(ニュートラルな視点からは)当然、そこによいも悪いもありません。

それは、ただそうであるというだけです。



これら

エネルギーワークを散々してきた青は

何が

どう在るのか

理解していきたいところですが

ただ受け入れていくという愛の在りようは

起きていますから

そんな風に今いる友人たちとも

何ひとつ問題はありません~~^^

いいですね。


でも

真我実現の道は

それら

マインドのコントロール上には絶対にないですし

主体となっている者、立ち位置が違いますね。

そのことを

伝えたいという気持ちが

まだまだ強いです

近い関係の方には、そのような思いも起きてきやすいですね。



この真我実現が

その自己実現をも含み

在ることが

どれほどの幸せなのかを

どうしたら

伝えることが出来るのだろうと

いった強い思いが出てきます

(ここのところの青のブログはそんな風です。。)

どなたかに意識を向けて書かれていらっしゃるのであれば、

それは必ず届いています。

(わたしも、お一人の感想への返信の中で、内容的に自然なものであれば、

他の方や複数の方へ向けて、コメントすることなどもあります。

また、どなたかに意識を向けて書かれる時も、その立ち位置、純度というものが

とても大切ですね。)

それがいつ気づかれるか、いつその方に変容が起こるかは、

その方の自然でベストなタイミングがありますので、気にされる必要はありません。

その方は、今ご自身が思う道を歩かれていらっしゃると思いますので、

それはそれで今のその方に必要な体験、ベストであると見ることもできます。

ですが、東にあるところへ向かいたいと思っていながら、西に進んでいるのが見えるのであれば、

お伝えできるタイミングがあれば、お伝えできる範囲でお伝えするのは親切とも言えます。

(どうしても、そのご本人がその道を進みたいという思いが強いのであれば、

ある程度のその歩みを見守り、その道に疑問等を持ち始めた頃に、

お話するのもひとつのタイミングかもしれません。

いくら話しても無駄、あるいは、逆効果になるタイミングもありますし、

よいタイミングであれば、お話はとても有効に働く場合もあります。)

ただ、真我はすべてであるので、どこから行っても、

いずれそこに注意が向くようになる(かもしれない)というのはあります。

地球のように丸ければ、東へ向かって行っても(東回り)、西に向かって行っても(西回り)、

場所によりかかる時間が違うかもしれませんが、同じ場所に辿り付くことは可能です。

必ずしも遠回りが悪いわけではありませんが、全体が見える方であれば、

近い方をお伝えするのが自然かもしれません。

あるいは、両方、どのくらい時間がかかるかをただお伝えするのもよいかもしれませんし、

すでに遠回りの道を経験している方であれば、その経験をただお話するのもよいかもしれません。

そして、後はただその方からどのように起こっていくかを見守るだけです。

すべては大丈夫であるということを絶対的に“知っている”在り方(愛)、その立ち位置で。



さらに

この真我実現に関しての

正しい理解は

さらに無空さんの個人セッションと

無空庵さんのブログを読みすすめていきたいです

はい、以前の返信にも書かせて頂きましたように、

無空庵の理解、視点もまた、無限にある中のたったひとつとも言えますが、

これは、お一人お一人がその存在レベルで、

ちょうど今回の共鳴中(瞑想中)に青さんの体験にあったように、

ここです

ここです^^ 



直接感じ、直接知るところですので、共に在り、そこをサポートさせて頂きます。






この真我を知りたいという欲求は

特別なものなのでしょうか?

それは、真我の本性でもあり、とても自然なものです。

(現れである個人体験━まだ真我を再認識していない段階━も、

真我のひとつの可能性として、その側面として、

個人の立ち位置から見れば、世界、そして、自分自身はどのように見え、

どのように体験されるのか、

真我がそれ自身を知りたいという、その本性から起こっているという

見方もできます。)




真我を

真我と知るまでに

そのことのためだけに

すでに

何度も転生してきて

やっとのこと

それそのものを知るに至る

タイミングが訪れるのだという話も聞いたことがあります


それほど

この真我に関しての

正しい理解は

なかなかたどり着けるものではないとも思います

そうですね。

ニサラルガダッタ・マハラジの本「I AM THAT」にも、

【光はすべてにとって、つねにそこにある。
だが、探求者がまれなのだ。
探求者のなかでも用意のできた者はたいへんまれなのだ。
成熟したハートとマインドが不可欠なのだ。】

とあります。

今、時代が進み、覚醒体験や悟りの一瞥体験をされる方も増えてきているようです。

そのような今でも、やはり成熟している存在は本当にまれかもしれません。

青さんの真実に対する強く、熱く、真剣で絶え間ない思い(愛)が、

今青さんが在る位置(愛)に連れて来てくれたと言えるでしょう。

それは、とても稀有なこととも言えます。

そして、そのように稀有な存在ひとりひとりの深い理解、深い愛が、

世界全体、すべての存在を深いレベルから支え、育み、包み込み、

全体の深化、変容を促していきます。





また来週どうぞよろしくお願いいたします












こちらこそよろしくお願い致します。

無空

追伸:

では、ブログの方も読ませていただきましょう。



無空さん

先ほどはセッションありがとうございました


ここずっと

大きなエネルギーのままで

これがクンダリーニエネルギーと関係しているのか

ちょっとよく分かりませんが。。

「在る」その愛の立ち位置であれば

本当にバランスよく

何ひとつ心身のバランスを

(クンダリーニ症候群だったりしておりましたものね)

崩すようなことはありません~

そうですね。

在れば(愛であれば)、自然にすべては整い(あるいは、完璧であることが見出され)、

バランスされていきます。



ただここ数週間は

不思議な感じで

これまでの自分を統合していくことが起きているのかもしれませんが

クンダリーニヨガをかじりだした時も

それに向かわざるをえないような

苦しみでたどり着いているので

それを開発することで

得られるらしい能力に関しては

全く   魔   ぐらいに思っています

自我にとって、それは魔となる可能性があります。

真我にとっては、すべてが愛です。

(必要であれば、それは自然に開発されるということが起こるでしょうし、

そうでなければ、真我からはそのことへの興味は起こらないでしょう。)

起こってくるもの(能力)が魔となるか、真(ゼロ・無・愛)となるかは、

どう在るか、その立ち位置次第と言えますね。


中途半端に開かれていて

苦しんでいたのですから。。。。

やはり、まずは、すべてを統合できる真の土台、

真の中心、真の自己(真我・愛)を知ること。

そして、それで在れるようになることですね。



ここにきて

そのエネルギーも含めて

その愛であるところに

ただ

ただ落ち着いていきます

いいですね。


ただそこに

「在る」愛に

向かうのみです


ありがとうございます




(^0^)

前半お話共鳴で

皆様の感想を読んで

そのことで

自分自身の理解が至りませんとお話したら

「それでいい」が自分の中で起こっていました

話してみると、それ自身の中から応えが起こってくることがありますね。


とことん

どのように在るのか

その在りようなのだなと思いました

そうですね。

本当にそれだけと言えます。





皆様の理解は

それで本当にすばらしく

その理解が自分に起こったらそれでいいし

起こらなくても

全くかまわないです

この愛は不滅ですから~~^^

そうですね。

その捉われない態度、在り方が在る(愛)です。




さて

始めの共鳴は

少しお話をしながらでしたね

揺るがない愛が

やわらかく変化して

大きな流れとなりました

「揺らぎ」と申しましたが

大きな流れはこの柔軟な柔らかさそのものの愛です

よい捉え方ですね。

また

愛の中心では

すべてが

全く静止しているかのように

何もありません

いいえ満ち満ちているのです

少し揺らいでやっとのことそれを味わうことが出来るという感じでもあります

その感覚、理解は正しいです。

まったくそれそのものであるときは、何もなく、そして、絶対的に満ち満ちています。

そこに微細なゆらぎ(気づき)が起きて、はじめてそれを味わうことが可能になります。

(さらには、それはただひとつの均質なるものの中で起こっているゆらぎなきゆらぎ、

静止の中の動、不動不変の気づきの中の気づくという動きとも言えます。

そのただひとつであるものは、気づき、気づいている意識であるがゆえに、ただそうであります。

そこには、絶対の静止と無限の躍動が同時に存在しています。)



アイコンタクトは

今までに味わったことのない共鳴でした

無空さん


わたしは

もう青ではないです

あるいは

青ではない何かがアイコンタクトでした

それは、何者でもない者

何者でもない“何か”かもしれませんね。



わたしはどこまでもわたしです

特定の誰でもない、何者でもない純粋な主観性そのものは、

どこまでもそう在ります。


クンダリーニエネルギーであっても

チャクラであっても

それは顕れの部分であるということであれば

いずれは消えてなくなるものですよね

現れては消え、消えてはまた現れを繰り返す、

という視点もありますね。

在る(愛)が主体となれば、現れていても、バランスされます。

(バランスされ、すべてがひとつ━愛━として機能しているとき、

消えていると見ることもできるかもしれません。)


だとすると

ハートチャクラは厳密にいうと

真我「ハート」ではありませんね

チャクラも消えて無くなるのですから

すべての現れも真我であるという視点からは、

チャクラも真我であるという見方もあります。

変わらずに在り続けるものという視点からは、

すべての現れの源である真我だけが実在です。


アートマン「真我」は

そのハートチャクラのすぐそばに在るとも

どこかで読んだ気もするのですが



なので

そのチャクラと勘違いするのかもしれないですね


ハート(真我・アートマン)自体は

消えてなくならない

気づいている

愛そのものですよね

ハートをどのように捉えるか、定義するかなどによりますが、

それは消えてなくならないものということであれば、

真我・気づいている愛そのものと言えますね。

相手の方の理解や状況に合わせ、様々な意味で使うこともありますが、

無空庵での基本的な理解は、ハート=真我です。

ハートチャクラは、そのひとつの現れです。

(そこに真我がトータルに現れているという見方はできるかもしれません。)




以前より

無空さんの共鳴での次元を超えたような体験は

エネルギーではないという

そのエッセンスをただ

知り続けていきたい

それを生きたいのですという

感じです^^

エネルギーという言葉もそれをどのように捉えるかで違ってきますが、

本質、エッセンスという捉え方は、源と現れ、

不変で不動であるものと起こっては消えていくもの、現れては動き、変化していくもの、

絶対と相対、絶対的事実(実在・実存)と一時的現象とを識別し、

様々に変化するエネルギーに翻弄され、振り回されないようにするために

有効だということが言えますね。



なので

本当に

クンダリーニエネルギーだの

チャクラエネルギーだの

構いたくないのですがね。。

あまり捉われずに在りましょう。





起こってくるのですから

仕方ないですね。。

起こってくるものは起こるがまま、

在るがままに。

ただそうであるということで。





クンダリーニエネルギー自体

愛のエネルギーですけどね^^





なので

ややこしいのです。。。

ややこしいのは、マインドの方です。

源も愛であり、その現れも愛。

すべては愛。

とてもシンプルです。

苦しめられたものを真我(愛)でないもの、

苦しみから救ってくれたものを真我(愛)

とすると、真我(愛)でないものが存在することになります。

(視点により、そのように識別することはありますが。)

もちろん、真我(愛)に、直接的に苦しめようという意図や思いはありません。

ただすべての可能性の中で、それが多様に展開される中で、

その関係性、立ち位置、視点、在り方等により、

それ(苦しみ)が体験されるということは起こります。

真我にとってその体験もまた、

未知であり、無限である自分自身を知るための純粋に貴重な体験のひとつであり、

また、それ自身の本質、そして、そしてトータルなそれ自身を知っていくためにも

それは貴重な経験、導きとなります。

苦しめられたもの、苦しみから救ってくれたもの、その両方の奥に共通して実在している、

あるいは、その両方を貫き実在している

ただひとつの愛に焦点を当てましょう。

ただそれそのものとして在りましょう。

それが必要なすべてを変容させ、すべてを統合していきます。







真我のそれは

エネルギーではない



また

純粋さと神聖さにおいては

他に比べようもありません

それは比類なきものです。



しかし

神さまのような高次の存在方のそれも

神聖さは

真我のそれとややこしく

同じようで。。。

様々に現れた存在もまた、真我の現れ、神聖さの現れです。



なので

前回と今回と

うまくお話できていないのですが

何でしょう~~というところなんです。。。

神聖さのそれは

何度も

無空さんのセッションで味わいきましたが

ある日

いのちが

大きく

呼吸をしたかのように

その愛を

感じ続けておりましたら

ここんところ

本当にそこから

離れることはありません





さらに深く愛である

ところへと落ち着いていきますね

う~~~ん

それしかないって感じです^^

それがすべてを統合していきます。





このクンダリーニエネルギーの濃厚な愛と

神さまの神聖さが

ややこしく

こんがらがったまま

青の真我として

スッキリと理解されてこないのですがね。。。

愛(在る)はすべてを統合していきます。

愛(在る)で在り続ければ、そうなっていくでしょう。



体験や

それそのものである時は

やはり

どうなのかは見るのは難しいといったところでしょうか


じっくり

焦らずいきます

それがいいですね。









さらに

深いこのいのちの

愛に

さらに気づき続けていきますね

今起こっている体験も、より深まり、より大きく全てを統合するための恩寵とも言えますね。

ありがとうございました。

無空













合同共鳴ありがとうございました



satorinさん

しみっちさん


合同共鳴をありがとうございました


やさしい

やさしい愛の共鳴でした


途中

深い愛のそこにいて

外に聞こえる

小鳥の声の

新鮮さ瑞々しさに

はじめて

この地上に降り立つ心持ちでした



美しい



最後の共鳴では

揺らぎは愛でした



すばらしい合同共鳴でしたね


どうもありがとうございました








真我さん





いつも静かに笑ってる











無空さんのセッション83回目





青さん

感想ありがとうございました。



無空さん

個人セッションをどうもありがとうございました



昨日は

ジーナさん(ババジのお弟子さんの方)の歌のサットサンに参加してきました

深いいのちのそこで

私たちは一つでありました

会場は大きくうねり

全くの静寂で皆で聖なる言葉を繋ぎ歌うキルタンという歌を歌っていたのですが

大きな声なのに~~その静寂はそこにずっと在ったのです

真の静寂は、声、音のあるなしに関係なく、在ります。



彼女は「ババジはグルジです」と私にお話くれたのですが

その時の愛の強さが本当に印象的でした



お昼の合同共鳴で

私のグルジは深い愛とその絶対の大丈夫である

このゼロ意識共鳴だなって思っていました


誰にも頼ることのない愛

究極的実在と願い

自分自身の触手は一本残らず内側に向け続けるのだと

がんばっていましたが(ニュートラルで在るところ)


もう

どこにも頼る必要はもうありません

生まれ変わったなと思いました


私にとって

無空さんは

ババジのような存在なのでしょうか


強い愛はもちろん感じています

それはこの愛

自分自身で在るところの愛と寸分変わりません



昨日の私が聞いたように

「無空さんはグルジです」と言ってもいいし



 この生きているところの

真実

それがグルであると言ってもいいのです


真我しかない


愛しかない



本質から見てみれば

何をつかみ

何を悩むことがあるのだろうぐらいに思っています


よかったです^^

よかったですね^^






さて

始めの共鳴では

自分の軸が大きく

定まっていきました

最初は

昨夜ライブの彼女の歌が

ずっと身体の中で反響しているようでした


「愛してる  愛してる  愛してる~~~♪」です


その愛が大きく太く広がっていました


アイコンタクトでは

昨夜

呼び続けていた神々が喜び微笑むように

どんどんと愛で輝いていくようでした

大きく広がる自分自身の軸も輝いていました


ここ今では

昨夜であっても

時空を超えて

今ここです

しかし

それが開かれるように

このセッションで喜びが弾んでくるのはおもしろいなあ~~って思いました

そこに存在の妙、不思議、面白さがありますね。


この覚醒も

目覚めも

すべての存在はもともとすべてがすでに悟っているという認識ですが

そのことに個が気がつくのに時間がかかるのですね(肉体次元での)

そうですね。



彼女も話していました

頭が分かるのには時間がかかる

心(ハート)はすべて分かっている

そういうことでしょうか^^



瞑想は

覚えておりません




愛の中心にさらに

深く入っていくところでした


いのち

さらに深くです^^


ハートの共鳴では

求心的に深まった愛が

ふんわりと愛

広がるハートでした


立場を変えては

歌うジーナさんを見ていました

愛しさの究極

(ライブ会場では涙が止まりませんでした)


その愛しさは

慈しみの愛

究極のやさしさです

私を通して

ジーナさんを通して

無空さんを通して

それを見せてくれている

それで在る自分を見ていると言う感じでした

とてもいいですね。


立場なし・ニュートラルは

その軽やかさは

言葉に変えることの出来ない神聖さです

素晴らしく感じ取られていますね。






なんか

まとまりのない

感想ですね



セッションも含めて

ライブなどすべては自己理解へと

その愛のやさしさの中ですね

本当に

愛と感謝の日々です



ここまで

どのように過ごしてきたのかも

もう思い出すことも出来ません


100万遍「ありがとうございます」と唱えても足りません

青さんが、今のように在れるということが、

100万遍の「ありがとうございます」を超えて、

素晴らしい感謝そのものです。


セッション開始、当時

感謝を感じることが出来ないと申しておりましたが



帳尻を合わせるかのように

怒涛の感謝が来ております

あ(思い出しました)

無空さんに対して

怒涛の感謝が起きると予言していたのは

自分自身への感謝のようですね(^0^)

あれれ~~^^



いつも

ありがとうございます



これからもどうぞよろしくお願いいたします









こちらこそよろしくお願い致します。

ありがとうございます。

無空







合同共鳴ありがとうございました





satorinさん

合同共鳴お世話になりました

リラックスのお布団にすっぽりと入って行きました

昨夜

ブンジャジさんのお弟子さんの方で

ナダヨガという歌のヨガ(マントラを歌いつなぐ)、キルタンのライブに行ってきたのです

非常に強いヒーリングエネルギーで

敏感な青はどこか緊張していたのでしょうね


合同共鳴のsatorinさんのお声で

うわ~~~ってとろけていくのが

愛でした

アイコンタクトの合図は

わかりませんでしたが

さらに深く愛でした

ハートの共鳴では

昨日の影響もありました

震えるような愛でした


最後のみんなで共鳴も愛でした


彼女は

ババジはグルジと話してその声が深く愛だったのが印象的でしたが


青は

この共鳴がグルジで

私自身が本当に深く愛です


感謝いたします






無空さんのセッション82回目



無空さん

ご返信ありがとうございます^^


「愛はありますか?」

その愛は

マインド劇場も未だひっくるめているのかもしれません

少しづつ

少しづつですね






これからも

どうぞよろしくお願いいたします










青さん

感想ありがとうございました。


無空さん

先ほどはセッションをありがとうございました


宇宙の中心は

宇宙の始まりで

宇宙の終わりですね

そうですね。


宇宙共鳴のお話が出て
 
 その時に

お話ししそびれたのですが

それほど大きく広がっていくと

同時に時間がなくなり

私も

無空さんももちろん居ない

ただ空間である

愛である

瞑想では

その宇宙そのものである

その中心に

無空さんという塊が愛として

私の中にありました

ただ燦々と輝いていました


先週

斜めになっていたのですが

今回は

どセンターで感じて

見ていました

正しい位置に在ったという感じでしょうか?


その愛は自分自身でもあり

さらに増していく愛の輝きに

没入していきたいというところでした







センタリングや

エネルギーセンター(チャクラ)へのチューニングを

すっかり忘れていたのですが

今週はそれを思い出すようなことが起こっていました





たしかに

この真理を知って

再びそのエネルギーにも繋がりゆくことは

わたしのプロセスでもあるのだろうなあって思います

それが起こるのなら自然に起こるでしょう。

とにかく主体が愛であることが大切です。

その上で、何かが自然に起こるなら

それは本当に素晴らしいものとなるでしょう。

主体が愛であるということは、何かのために愛を使うということではありません。

ただ愛そのものとして在るということです。

それ(愛)以外何も存在しないという真実の中で、

愛(全体)は、ただ愛(全体)だけのために在ります。

その真の自己愛(全体愛)が、自然に溢れ出たもの、こぼれ落ちたものが

そこから様々に起こっていくものであるというように見ることもできますね。

そのとき、その愛の純度は、素晴らしく保たれたまま、

現れの世界に溢れ出て、広がっていくでしょう。

それは、素晴らしい愛の表現となるでしょう。




さて

始めの共鳴は

下で子供たちがずいぶんと興奮状態で

騒いでおり

ちょっとその声ばかりに

集中してしまいました

幸せと歓びの雄叫びでしょうね^^

そうでしょうね^^





アイコンタクトは

やわらかい

やわらかい

新鮮さの神聖さでした

そうですね。

それは素晴らしくやわらかです。



瞑想は

どこまでも

どこまでも

そして

深く

深く

愛でした


ハートの共鳴では

その愛が

重厚感を増して

在りました


立場を変えては

そのまま在りました


わたしは宇宙の中心であり

その愛の中心です

いいですね。


そこは濃厚さも

重厚感もある

本当にどっしりとしていました

自己理解が進むと、そのように安定感が

増してきますね。



立場なし・ニュートラルは

軽やかさと

やわらかさの神聖さに

戻っていました

それは、重厚であると同時に、軽やかでもあります。

堅固であると同時に、やわらかでもあります。

普通であると同時に、神聖でもあります。

それが、それです。






無空さん

どうもありがとうございました


お咳が出てましたね

どうぞお大事になさって下さいね

お気遣いありがとうございます。

多忙のため、体調を崩しておりましたが、

おかげさまで今は大分回復してきております。











ありがとうございました。

無空












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