無空さんのセッション59回目







無空さん

おはようございます

こちらも夕方から雪となりそうです

そちらも寒いでしょうね

どうぞお風邪など引かれませんように



いつも

本当にありがとうございます


今朝は

ご返信の言葉が

いつもよりもダイレクトに響きます

何か大きなこだわりが取れていることが分かります


ありがとうございます


















青さん

感想ありがとうございました。


無空さん

おはようございます

昨日はセッションをありがとうございました

お話を聞いていただき感謝しております


この大きなものがまだ浮上してきていますね

これが今世終了したいものですね、きっと。




ニュートラルを知り

男性でもない、女性でもない、いい、悪いもない

判断のないところ、純粋な意識といわれるところは

人ではありませんね

はい。

そこから、すべてが自然に起こっていきます。

人という現われもそうです。

人は現れた真我。

現れた愛。

現れた光。

現れた「いのち」そのものです。




しかしながら人として生きる

それを生きる時

本当にそこから出てくる表現は様々なのですね

真我は、無限そのものであり、そこには無限の側面があります。

それが人として、人の在り方、生き方、そしてその表現の多様性として現われてきています。

真我はそのすべてを許しています。

自分自身にそれを許しています。

それはひとつであるものであり、すべてである真我の自分自身に対する無限の愛です。





先日

とても親しい友人に無空さんってどんな人?って尋ねられた時に


謙虚な人と話しておりました


本当の謙虚さは

人の奥深くまですべてを照らし出す光だと思います

在るが、謙虚なんですね。

それは、知っている(既知)がゆえの謙虚さ、知らない(未知)ということを知っている謙虚さ

その両方を持ち、そして、それをも超えてただ謙虚です。

そして、青さんがおっしゃるように、ただひとつのすべてであるそれは、

謙虚であればあるほど、奥深くまですべてを照らし出すことができます。

ひとつのものであるそれは、ひとつであるがゆえにそのように作用するものであり、

ただそのような存在であるのです。

青さんは、その本質を深いところで知っていますね。

なぜなら、ただひとつのすべてであるそれは、青さんでもあるからです。

青さんは、本当の謙虚さを持ち、そして、人の奥深くまですべてを照らし出す光そのものです。





さて

共鳴の感想ですが

今回は始まる前に

といいますか、この一週間はエネルギーも大きく

深い恍惚感に何度も襲われていて

大きなエネルギーも飛び出していくような自分自身のエネルギーも

本当に何が何やらどうでも良くなってきていました


エネルギーではないところ

言葉以前のところにフォーカスしていきたくて

始まる前は

瞑想をして準備しておりました

不動であり、何ものにも影響されず、ゆるがされることのない気づいている意識、

それは、気づきそのものです。



初めの共鳴では

自分の内側に集中していました

それが自然に起こったということだと思いますが、

さらに、内も外もない、ただそれで在れるようになるといいですね。

アイコンタクトでは

その内側の広がる空間がみるみる充実して

宇宙に繋がった感じでした

その宇宙そのものではないですか?とお尋ねいただきましたが

今朝はそのものという感じが分かります(昨日は中心に繋がった感じが強かったです)

いいですね。


瞑想では

味わいが取り巻き気持ちよく

それそのものになっていました

しばらくすると

その心地よさが眉間に集まってきて

対象である目の前に集中が集まってきました

これは自動的に日常でもいつも起こっている現象です

心の中では

無空さんを認識したいという感じでした

(しまださんのときも起こりましたが

しまださんはすぐに見つかりました

しっかりと響きあったことを思い出します)

やはり見つけることが出来ませんでした。。。

わたしは、青さんが自分自身を認識するために在ります。

(共鳴では、そのときどきで、必要なことが自然に起こります。

今回は、わたしを認識できないということが起こった、ということですね。)

焦点を自分自身に戻してください。

認識したいが自然に起こるのはかまいません。

それにもただ気づいて在りましょう。

真に注意を向け、気づくべき対象、それそのものとしてあるべき対象は、

青さんから距離ゼロのところに在ります。

そこより外側でもなく、そこより内側でもありません。

そこに方向性、矢印はありません。

探ってしまうくせ(マインドの本性)は、ただそのままにしておき、

それにも気づいて在りましょう。

本当はそれは、追い求め、探し求め、どこかにあるのではなく、

探している者そのもの、青さんご本人が、青さんが見つけたいもの、いのちそのものです。

追い求めること、探し求めることが“自然に”止んだとき、それは見つかります。

でも、そのエネルギーが尽きるまで、あるいは成熟するまではそれが自然に続きます。

それを知り、ただそれに気づいていて、それもあるがまま、そのままにしておきましょう。

気づいていることは愛です。

気づいている者は、いのちそのものです。

それは、青さんが探しているもの、見つけたいもの、そう在りたいものです。

そのときに、必ずしも味わいが伴うかどうかは分かりません。

でも、それがそうなのです。

そのような理解を持って、味わいを探しにいかず、また、味わいがやってくることも拒まず、

ただ気づいて、ただ気づきそのものとして在りましょう。

探している事に気づいたら、探している者、その主体そのものとして在りましょう。

目標物、対象物ではなく、自分自身で在りましょう。


青さんのブログに


【わたしが

探しているのは

個人であろうが

なかろうが

いのちそのものなのです】

とありましたが、

5行あるうちの間3行をとって、「わたしが、いのちそのものなのです。」となるか、

あるいは、探している「わたしが」が落ちると、残るのは、「いのちそのもの」になります。

探している「わたし」が落ちても、いのちそのものである真の青さんは残ります。

探すことができるのは「わたし」ですが、見つけたとき(その瞬間)には、「わたし」はいません。

その一瞬か、どのくらいか後に、「わたし」はまた起こってきて、“「わたし」は見つけた”

とするかもしれません。

もしくは、「わたし」が落ちたことで、それそのもので在ったことで、それは見つけられたという

理解が起こるかもしれません。

それそのものである直接体験を繰り返し重ね、自己理解を深め、いのちそのものであることを

この世界で実現していきましょう。

いのちの花を咲かせましょう。

いえ、すでにそれは咲いていますね。

現われはすでに花です。

それはすでに、日常すべての中に、様々な表現を通して現われ、咲きほこっています。

そのことに気づくと、それがより活性化されてきます。

直接体験、実感を通した認識、再認識が重要です。

日常を生きることを通しての深い理解、受け容れが大切です。




そのことをお話しするとそのことにも気がついていてくださいということでしたね

前述しましたが、気づいていてください、ということは、愛そのもの、

いのちそのものであってください、

ということでもあります。

それを今どのくらい実感できるか、味わえるかに関わらず、そう在ってみて下さい。

そう在り続けてみて下さい。

次第に対象物とより距離が置けるようになり、気づいている主体の方であるそれ自身(いのち)を

より感じ取ることができるようになっていきます。






今回の一連の出来事は

何もかも

すべて繋がっていると思いますが


この青にとって

もっともフォーカスすべきところは

どこでしょう?

自分自身です。

内側でもなく、外側でもない、

自分自身から距離ゼロのところにあるいのちそのものです。

ただ気づいて在るとき、それが可能です。



また気づき自身はすでにもともとそこにあり

そのことに気づいていることはその気づきそのものに在ることでもありますが


まあ

気になるところは

またきっと浮上してきて

そこに気づいているが起こります

もう、おわかりですね。

あとは、それをただひたすらです。

そして、ひたすら度合いは、ひとそれぞれです。

青さんなりのひたすらで結構ですから、実現したいものを実現していきましょう。




ハートの共鳴は

ぐるぐると

ずしんずしんと気づいているが濃厚になって

この空間、わたしの周りが本当に優しいです

ゆるぎなきそれ、その気づきに対する理解が

実践、実感を重ねていくことにより、さらに

深まっていくと、より安定してきます。

様々なエネルギーにも翻弄されなくなってきます。

また、翻弄されることにもとらわれなくなってきます。




立場を変えては

内側の広がる空間から

湧き出していました

これは何?

言葉に変えれば「愛」です

これを愛とどうして知ることが出来るのでしょう

自分自身だからです。

自分自身が愛そのものだからです。


不思議です

いのちの泉です


立場なし・ニュートラルは

覚えておりません





まだ

大きなものが浮上してきてますか

感謝が前面には出てこない

今回の感想をどうぞお許しくださいね

起こるがまま、あるがままに。

真我は、すべてが始まる前から、すでにすべてを許しています。

それゆえに、あらゆることが起こってくることが可能となっています。

それは、真我の真我自身に対する愛です。



一段

深いところでは

愛と感謝が流れています


変な感じですね

それ(在る・真我)、真の青さんは知っています。

気づいています。




そのうちにクリアになりますね。きっと。

起こってきたもの、浮上してきたものは消えていきます。

永遠の中で、クリアにならないもの、クリアされないものはありません。

愛の中で、溶けていかないものはありません。

すべては愛です。

愛だけがあります。



来週もどうぞよろしくお願いいたします










ありがとうございました








ありがとうございました。

無空







スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleリンクsidetitle