無空さんのセッション69回目


無空さん

ありがとうございます






ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」からの抜粋をいくつか加えましたので、再送させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

青さん

感想ありがとうございました。


無空さん

先ほどはどうもありがとうございました

いっぱいお話を聞いていただきました

1週間分

今回はずいぶんと出てきましたね

それほどマインドグルグルでしたか。。。(汗)

かなり厳しかったです

しんどかったです。。。




そこに違いがあるというなら

純度ということなのですか?

その視点からも見ていけますね。

そして、違い(識別)と同時に、

本質では、同じ、まったく同等、

すでに、愛そのもの、絶対大丈夫

という理解も持たれているといいですね。

(その視点、その理解が、関係する方々の気づき、変容を促していきます。)






かつて

自分自身も振り回されて

苦しくつらい体験もあり



これを

苦しむことなく

快楽へと自由だと

流れていってしまう方々がいることを知り

愕然としておりましたが

やはり

本当の愛

本当の人生とは

思うことはできません

本当の人生ではない人生を経験、体験してみて、

本当の人生の方へ向かう、本当の人生が分かってくるというプロセスもあります。

本質は愛そのものであるという視点から見守るというのもひとつの在り方です。

(待つ、見守るという在り方は、必ずしも何もしないということではありません。

必要なときには、そこから言葉や行動が起こってくることもあります。)

また、快楽と苦痛に関して、それぞれ違う視点から語られていますが、

いくつか参考までに。

ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」より。

質問者 苦痛は受け入れがたいものです。

マハラジ どうしてかね?試したことがあるのかね?試してみなさい。
そうすれば苦痛には快楽が生み出すことのできない喜びがあることを見いだすだろう。
なぜなら、苦痛の受容には快楽よりもはるかに深いところへあなたを導くという純然たる理由があるからだ。
個人の自我はその本性からして絶えず快楽を求め、苦痛を避けている。
このパターンの終焉が自我の終焉なのだ。
自我と、その欲望と恐れの終焉は、幸福と平和の源であるあなたの真の本性に帰りつくことを可能にする。

快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
至福を通してだけでは、あなた自身を知ることはできない。
あなたの本性そのものが至福だからだ。
悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならないのだ。


人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛の間での葛藤に捕らえられたときだけだ。

苦痛と快楽の彼方に至福があるのだ。

苦痛と快楽は起こる。
だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。
人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによって傷ついている。
苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。

苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。私は今、こうしてあなたの前に座り、直接の不変の体験から話している。苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。その底深くには完全な充足があるのだ。


快楽と苦痛はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。
そして、世界はあなたがつくり出すものだ。
ぜひ、幸せな世界をつくり出すがいい。
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非常に実りのある、
満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生み出し、欲望から自由になることが至福なのだ。


趣味

趣向の違いなどもありますが

ひとそれぞれとはいいますが。。。


ここ

こちらの共鳴で

確かめ合える

「愛はありますか」という

無空さんの問いかけが

私にとっては

もう

何にも変えることのできない

一筋の光

それを愛と呼ばなければ

もう

本当に迷いの世界です。。。。


苦しみながらも

乗り越えて

助けていただきました


クンダリーニ症候群ということでした

禁欲者の生活が長かったとも言っていただきました

今は

そのようなところでは

振り回されてはおりません



もう少し上

ハートのところですね



落とし穴には

本当に

一日のうちでも

何度も落ちています

そのたびに

叫ぶように泣き出します

感覚的には

やはり切なさでしょうか



今日の

合同共鳴でも

この無空庵さんの仲間でいられる嬉しさや

喜びは

何かほかのものには変えることが出来ません


ハートが

喜ぶのが分かるという感じです

本質のところで、存在の核のところで、それそのものが喜んでいるんですね。

それをひとつの目安、基準にされるのもいいですね。




そのハートに

やはり

打ち震えるように

無空さんへ求めていく気持ち(依存心、甘えなど)が出てくると

泣き出します

これは

本当に

紙一重のところなんです

そうですね。



ハートのところで

まだ

成熟と浄化が進んでいくといいといったところですね

はい、純化、成熟ですね。

紙一重のところに気づかれているのでしたら、

クリア度合い、気づきの明晰性は、かなり進んでいますね。




大丈夫です

真実を

知っていますから

そうですね。

真実は、それ自身を守ります。

大丈夫です。




どれ?と聞かれても

これ~って見せることなど

もちろん

示すことなど出来はしませんが^^



どんどん

ずうずうしくなってきておりますか?


謙虚さが足りなくなってきてますか?

その問いかけに謙虚さが感じられます。


きっとまた

この

き~んと求めるエネルギーが

止んだ頃

また

純粋に

謙虚さが

漂う

青に戻ることが出来ますように

(ちょっとオオチャク者の青のままでした)。。

何度も戻ることにより、それはより確かで、深み、
厚みのあるものとなっていきます。





さて

共鳴の感想ですが

初めの共鳴では

そのセミナーでのエネルギー的後遺症や

こだわりなどが残っているなあと思いました


アイコンタクトは

天空に突き抜けて

甘い世界が広がりました



瞑想は

真実の世界です



ハートの共鳴は

マインド(我)が出てきていて静かになれませんでした

浄化という理解で、気にせずに。
よいことが起きている、これでさらにクリアになれるくらいに捉えていられるといいですね。



立場を変えては

「愛はありますか」


この愛を

真なるものと感じることの

しあわせ

人生の

人である

この世に生まれてきて

これ以上の喜び

幸せはないのです

それは至高のもの。

至宝とも言えますね。



無空さんに出会えて

わたしが

ここで無空さんに会えていることは

本当に

誰と代わってあげることもできませんが

この真実を

この幸せを知ってほしいと

強く

強く


願い想うのでした

その瞬間、その願いは全存在の深いところに届いています。

そして、それぞれのプロセスの適切な時期に

真実の気づき、真の幸せの気づきとして起こってくるでしょう。

わたしたちの気づきも、そのようにして起こってきているものがたくさんあります。

とてもありがたいことですね。






そういえば

当初より待てない

性質が強いですよね


この辺りの

成熟、浄化、純化もきてるのかもしれませんね

そうかもしれませんね。



立場なし・ニュートラルは



神殿であるこの体に

注ぎ込まれる聖なるエネルギーは

自立を促してきております


同時に

気づいている意識は

クリアさを増していき

部屋が明るい~~です^^

とてもいいですね。




もともと

エネルギーに敏感なところのある青ですが

このところ

またクリアになった分

エネルギーも大きくなっていくようにも思うのです


エネルギーだけではない

落ち着きと

穏やかさや優しさなど

真・善・美を中心に

揺るぎなく

いつも

この理解が深まりますように







どうぞ

よろしくお願いいたします
















PS


なんだか

最近本当に

すっかり変わってしまった自分があります


気もちのいいところで

安定できるように

精進していきます

どうぞよろしくお願いいたします

こちらこそよろしくお願い致します。

ありがとうございました。

無空



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleリンクsidetitle