無空さんのセッション73回目


青さん

感想ありがとうございました。


無空さん

先ほどはどうもありがとうございました


思い切り

愚痴から入ってましたね

私も当日それなりのものらしきものがありましたが、

特にエネルギーに敏感な青さんは、

前日からイベントの影響をやはりかなり強く受けられていたようですので、

そのような思いが起こってくるのも自然なこととも言えますね。


どうしても

解せぬところです

待てないのはマインドですね

ちょ~~イラついてます

話し損ねたものもいっぱいあるにはあるのですが



人は

私自身も含めて

一人ぼっちが怖いものですね


先日

大きく依存心を断ち切れと

がんばりましたっけ

マインドは

泣き叫びました。。。

自分自身で

この無空庵さんを止めるということに向かい合うことと

人から言われて(止めるように)

さらに向かい合いました




誰にも

何にも頼ることのない

導かれることのない愛を知りたいというのが

その望みだったのです


導かれることのない愛

それは

言い換えれば

自分自身が

どれほどの愛なのかを知るということなのですが

そうですね。



ある所までくると

無空さんや

無空庵さんが消えていくのと同時に

マインドではもうない

素晴らしく軽やかな繋がりがそこにあるというだけのこと

という感じですね^^

そうですね。

無空や無空庵がなくなって、そこからが真の無空庵です。

(もちろん、そこに来るまでのサポートも行います。)

トータルな形での、真我の真我による真我のための共鳴が起こり始めます。





この軽やかさは

純度の高さにも関係するとも思うのですが



親しい友人関係や

家族

身内でも

ひとつの目安のような感じでしょうか

抜けるような感じや

何も引っ掛かりがない感じや

重さがあっても

しばらく話すうちにとれていきますよね~^^

「在る」マジックです^^

在るの力(愛)は偉大です。




日常は驚きと気づきの連続~~

または

穏やかさで

うっとりとまどろむ日々です^^

とてもいいですね。


はは

前半まだ怒ってますね^^

それもただ怒っている(起こっている)ということで(笑)。



さて

共鳴の感想ですが


はじめの共鳴は

本当に

日常です^^

のどか~~~でした^^

不変的で、普遍的なもの。

常日頃から在るものは、安心で、のどかでもありますね。


在るは、日常そのものとして現われながらも、

同時に日常を超えていて、その影響を受けないゆえ、

日常のすべてを同等に支えることができます。

(その場にいなければ、具体的にその場の役に立つことはできませんが、

真にトータルに役に立てるのは、同時に、その場を超えているときです。

それが在る(愛)の在り方、上に書かれてある「在る」マジックでもあります。

それが在るの「妙」、在るの不思議な不思議な在り方です。)




アイコンタクトは

先にお話しておりました船の話ですが

大きな意識体である

しまだ号とmanana号と片山君号が

「愛結ぶ」で

宇宙の中心に引き込まれていきました

(しまださん号は今もなお

私を支え続けていてくれてますね^^

そのことが分かりました

しまださんの愛と至福のエネルギーは

とても大きなものがありますね。


manana号は新鮮にやってきておりました

manana号で、重たかったものが軽くなられた

とブログにありましたね。


それを見ていたような感じでした

「ひとつになれ~」と起こっていましたね。


瞑想では

身体の輪郭が消えてしまって

意識体という感じでした

濃厚な空気に包まれているような感じでした


ハートの共鳴では

爽やかさと軽やかさがありました

いいですね。



立場を変えては

いのちの味わいのそれ

神々のそれ

愛のささやきの気づきのそれ


それでした


話しませんでした

それです^^


無空さんも

はい。でした


そうです~~^^


言葉では表現できないものですね

そのとおり~~^^




上に少し書いちゃってますけど

実際には

体験するしかありません^^

そうですね。

とてもいい感じでしたね^^




立場なし・ニュートラルでは


まろやかな神聖さ

でした

神聖さも進んでいますね。





今日も素晴らしい共鳴をありがとうございました

こちらこそありがとうございました。


PS  

この感想を読んで

ずいぶんと重いエネルギーがまだあるのを感じますが

このまま送りますね

明日には

もっと軽くなると思います~~

(イベントの影響だと思います)

イベントは、直接参加された方々、そして、意識参加された方々、

その他、本当に多くの人の目に見えない支えがあって為されましたね。

たくさんの素晴らしきことが起こり、また実を結んだと思います。

また、それと同時に、私も以前通っていたセミナー等で、エネルギーや

カルマの移動等についても学びましたが、

今回、青さんや複数の方が感じられたように、ご縁でつながっている方で、

クリアで、ある意味、容量が大きい方ほど

(在るは無限ですが、肉体はどれほど精妙になっても、

それなりの限界があります。

また逆に、肉体を持って現れているから、互いに深い影響を与え合えたり、

変容が起こる等のことが可能になっているとも言えますね。)

もしかしたら、多くの重たいものを引き受けられたかもしれませんね。

(ひとつである全体としては、それはとても自然なことでもあります。

全体で在るは、そのようにして全体のバランスをとったり、

全体としてクリアになっていっている、無限の成長を続けているとも言えます。)

エネルギーの移動はそのように起こり、全体としてバランスがとられます。

何もひっかからないほどクリアであれば、

多くのものは無意識に処理されることもありますが、

それでも、エネルギーの影響をより敏感に感じやすいタイプの方も

いらっしゃいますし、

通常は、まったく気にならないものであったり、

自然に回復する程度のものでも、

やはり心身への影響もまったくのゼロというわけには行きません。

以前の返信でも書きましたが、現われのすべては関係し合っているので、

これは日常でもある程度、自然に起こっていることではありますが、

意識的な共鳴となると、またその影響や、エネルギーの移動等は

より大きなものがあります。

例えば、クリアだけれども、まだ真の安定に到っていない人、

深遠なやわらかさに開き始めた人などが、

重さ(重たいマインド)等を持った方と共鳴すると、

逆にその影響を受け、重たくなったり、

さらには、期間は人それぞれでしょうけれど、

一時的にマインドが増長されたりするということも

時には起こり得る可能性があります。

(共鳴を継続し、うまく二人とも、あるいは、全体が

よりクリアになっていく方向に進んでいけば、トータルではよろしいですね。)

このようなことも意識される必要もないくらいに、全体がクリアに、

そして、自然なものとなっていればよろしいですが

(今はその過渡期とも言えるかもしれませんが)、

様々なところで共鳴が起こっており、そこに参加された方や、

今回のように直接参加せずとも、

縁のある人たちには影響がある場合がありますから、

(今回も結構大変だった方もいらっしゃいますね。)

少しだけ書きました。

もちろん、すべての影響を把握することは不可能であり、

そこにだけ気をつけていては何もできませんが、

イベントや共鳴会等、それに類することを主催される方や、

そのお手伝い等関係者の方等は、

そのようなこともあるということも意識の中に入れておかれると、

自ずと起こり方も、より注意深く配慮され、よりトータルなものと

なっていくと思います。

質や方法の違い、その他、主催者等の意識の深さ、確かさ等も

関係してきますので、まったく同じように考えることはできませんが、

参考までに、私が以前行っていた瞑想でも、

それを習う前の心身の健康状態の確認等もありましたし、

さらに上級の瞑想を習うには、一定期間の規則的な実習を経る

必要がありました。

また、上級の瞑想のグループでの実習も、

当然ですが、それを習った人たちだけで行うものでした。

(このようなことは、けっして差別ではありませんね。

実習、実践する方の最大の安全と効果等に関して、

さらには、全体への影響ということに関しても、

最大限に注意深く配慮されていたためです。)

そして、そこでもやはり、私も教師という立場にあったのでよく分かりますが、

純粋性というものが非常に大切にされていました。

また、以前通っていた覚醒に関する2泊3日のセミナーでは

(ここで、共鳴が行われていました。)、

全体数十人の中で、数人の初参加の方のために、

1日目の多くの時間が使われていました。

その中で、エネルギーの移動等が起こり

(ある意味、初参加の数人の方の重たさ等を

先輩であるその他数十人全員で引き受ける)、

そして、数十人全体がクリアになるのに3日は必要だということで、

2泊3日のセミナーになっていました。

実際参加させて頂いていた私も、全体を見て、

そのこと(3日目で全体がクリアになるということ)を実感していました。

現在のように、様々な形で共鳴が広がって行くことは自然なことでもあり、

それも全体から起こっている

あるいは、他の全てのことと同様に全体がただ許している

とも言えますし、

全体がどんどんクリアになっていって、

(無空庵のゼロ意識共鳴は、個人セッションを通した全体のサポートも

その理解、認識の中に在ります。)

より多くの方に、より自然に、より安全に、よりトータルに共鳴、

(共鳴の質、深さ等はそれぞれということになりますが)

そのほか、自然な気づき、理解等が起こっていくよう

変化、進展していく可能性がありますが、

(私もその可能性も考慮しながら、見守っています。)

前述したように、以前通っていたセミナー等で、

相対的に、よりクリアである者とそうでない者の二者間で起こる

カルマやエネルギー、性質的なもの、理解等の移動、影響等を学びました。

また、その事実をそのセミナーの中で、先生や多くの方を見ることにより、

深く認識した上で、自分自身のタイプ

(他の方からあまり影響を受けないということ、また、自身から伝わっていく

ものもあまりくせがあるものではないこと。純粋なものであること。)を考慮し、

また、何人かの方へのある程度の期間に渡る共鳴を通しての

変容などの確認等に2年ほど費やし、

それ自身からのOKが起こったところで、無空庵のスタートとなりました。

自身が、あまり影響を受けないタイプであるため、

(一昨年、多忙のため体調を崩したときは、

普段、無意識的に処理されているものがリアルに感じられ、

どのような影響が受けているかは実体験として知っています。)

ある意味、それまでの理解も含めた伝統的な流れ

(これもひとつの視点でしかないとも言えますし、

伝統の中のすべてではないと思いますが、

師と弟子の間のカルマやエネルギーの移動等)を

変換する位置に立ち、共鳴セッションを継続し続けていくことで

影響を受けにくいという体質・認識・理解等が自然に伝授、伝播され、

(さらにそれをブログ等を通して、自然な形で公表し続けていくことで、

同時に、集合意識にも徐々に浸透していき)

共鳴のような、ある意味、意識的なものを行っても、

(共鳴中はただ在るだけですが)

エネルギー的な影響等まったく問題ない、という集合的認識(場)が形成され、

それ以降の流れが変わっていけばという認識も持っていました。

(もちろん、個々のレベルでは、もともと影響を受けにくいタイプの方も

たくさんいらっしゃると思いますし、

逆に、もともと影響をとても受けやすいという方が短期で極端に変わるということは

ないかもしれませんが。)

そして、ある意味、ひとつのスタイル、スタンス、在り方の源流、源泉として、

これまで、慎重に注意深く、また可能な限り純度を保ちながら

ここまで進めてきました。

(日々の小さな合同共鳴も、ある程度、無空庵全体としての成熟、

進展の度合い等を見ながら、今なら大丈夫だというタイミングで

スタートさせました。)

そしてそれは、様々な共鳴会等が(大きな問題を起こすことなく)

起こってきている今を見ると、

ある程度実現されてきているのではないかと思います。

それでもやはり、これまでの(ある意味、伝統的な)流れが

一時でがらっと変わるわけではなく、

徐々に全体として、より自然で、よりスムーズで、

よりクリアなものになっていきますから、

他の方々の在り方が、エネルギー的な影響等からも、

より自由に、より自然に在れるようにという意味でも、

ある意味、ひとつの源流、源泉として、

(もちろん、すべての方がそうだと言えますし、

そのような自覚があることが望ましいです。

ひとりひとりがしっかりとした主体として在ることが大切です。)

そこから流れ、自然に広がっていくすべてへの影響という点でも、

その純度を大切にしていきたいと思っています。

また、この純度は、もちろんマインドを排除するようなものではありません。

愛から、ときには、そのようにも読み取れる表現が起こることもありますが、

それは、真にマインドを排除するためのものではありません。

それは、プロセスや状況等により、必要に応じて、

深い理解、“知っている”というところから起こってくるものです。

その愛、そして、その純度は、マインドを含め、すべてをあたたかく包み込み、

待ち、見守り、支え、または、ときにはその逆のようにも現われながら、

真の変容、そして、トータルな存在の統合を促して行くものです。

その在り方が、様々に自然な形で広がって行く共鳴等を、

自ずからに正され、クリアなものにしていくよう

深いレベルからサポートしていきます。

どこまでそのサポートが及ぶかは計り知れませんが、

可能な限り、そう在りたいと思っています。

そして、そのサポートは、ただ見守る

(ときには、多くの成熟した存在に支えられながら、

若さ、未成熟という姿形をまとった本質が、

新しい時代を拓く、可能性を拓いていくということも

考慮しながら。)という見えないレベルからのものもあれば、

ときには、直接的間接的に、ひとつの動きを支持し、応援するもの、

また、ときには、形的には、その逆に見え、感じるようなものもあるかもしれません。

それは、それでその動きが消えていくようであれば、

在るから起こり、トータルに実現していくものではなく、

個人の中で起こるマインドと同じ類のものであり、

注意を向ければ消えていく、ただの雑念レベルのものであったと理解できるでしょう。

そして、それでもその思い、その動きが消えず進むようであれば、

その奥、その核には真我があり、それは実現していくものであるということが分かります。

あるいは、はじめの思いが変容し、または、一度消えた後に、

再度真我から起こってきて、それが実現していくということもあるでしょう。

その場合は、一見、制するような動き、逆行し、反対、あるいは、

実現の抵抗になるような在り方が、

はじめに起こったところの余分な部分(あるいは全部)を落とし、はがし、

より本質が現れてくるような一助になっているということが言えます。

そのような中で、内容等は十分に熟考され、全体に行き渡る配慮がなされ、

注意深く慎重に進められながら、必要に応じて形を変えたりもしながら、

より素晴らしいものとなっていくでしょう。

そのような中で、主催者や関係者のこだわり等もより落ちていき、

純化、成熟が進み、透明感、そして、あたたかさや感謝の思い、

等も増していくことでしょう。

(またときには、マインド主体になっていることにどうしても気づかず、

その結果を受け取ることで、気づきが起こるという場合もあるでしょう。)


また、現われにおいては、在り方、スタンス、理解等も本当に多様です。

ただひとつのものは、現われにおいては矛盾するもの、

対極にあるもの、スタンスの違うもの、

同じ方向にありながら少し立ち位置が違うもの等、

本当に多様に現れてきて、それぞれがそれぞれを際立たせ、

同時に全体でひとつとして表現され、

また、全体でひとつとして成長しながら進んでいます。

それぞれがそれぞれを際立たせるのは、

ある意味、スタンス、立ち位置、在り方等それぞれに違いがあるからです。

それぞれの素晴らしさがそのことにより一層明確になり、輝き出します。

それは、ただひとつの愛の中で起こっていることです。

例え、現われレベルでは違っていたり、

あるいは、真っ向から対立しているように見えるようなものであっても、

すべてはただひとつの愛の中での全体としての表現であり、

また、そのひとつの全体の中で、共に進んで行っているというのが真実です。

それは、ひとつの極端な例えをあげてみれば、

二者がお互い口で言っているの意見は合っていなくても、

例え、見た目は(現われのレベルでは)口喧嘩しているようでも、

実は、両手は(源では)がっちりと深く固く握手されている状態とも言えます。

(ひとつのプロセス、流れの中で、時にはそれぞれの在り方を強く表現したり、

違いを明確にすることも必要なこともありますが、

それぞれを認めながら、それ自身であるという穏やかな在り方が

総体ではよいように思われます。)

現われだけを見ていては、本質、そして、全体は理解できません。

そのような全体的な視点を持っていると、必要以上の葛藤は起こさなくてすみます。

(単に、源はひとつ、そして、現われはそれぞれである、

という理解があればいいですね。)

また、それぞれの立場の方は、そのような理解のもと、

多様性の中でも、自ら

(個ではなく、真の自己としての自ら、

あるいは、個も含めた全体としての自ら)の起こり、

起こってくることにただ真摯に、ただ純粋に、ただ誠実に在ることができます。

現れ方は本当に様々で、多様です。

それぞれの現れ方、また、ある意味、役割という視点もありますが、

その中で、無空庵としては、ひとつのポイントとして、

ひとつの源流、源泉であるという理解、認識も含め、

その在り方の純粋性を大切にし、

ひとりひとりの存在の真の深さ、広さから、

そして、在る、ゼロ意識のレベルから全体をサポートするというスタンス、在り方です。

(そのスタンス、影響等につきましては、以前書いた

「在る=知っている。深い意識と理解が全体に与える影響。」
http://mukuuan.blog9.fc2.com/blog-entry-1781.html

の記事が参考になると思います。)

ひとりひとりの深さ、純度重視です。

(ここが、様々な在り方がある多様性の中での、無空庵のひとつの特徴

とも言ってもいいと思います。

もし多様性がなければ、ここは特に表現して明確にしたり、

強調する必要もないということはもちろんのこと、

無空庵すら現れる必要がありません。

自らが、ただ在ること、ただそれ自身であること、

自らの在り方、ひとつの特徴を明確にすることで、

意識せずとも、他の全てもまた輝くという理解、

そして、全体もまた美しいものになるという理解を持っています。)

源流、源泉の純度、それはブレのなさとも言えるかもしれませんが、

そこがぶれては、全体がぶれて、ゆがみ、流れも滞ってしまいます。

無空庵全体として、深化、成長、変容していきながらも、

核はぶれず、さらなる核心へと。

その純度は、さらに無限に純粋に。

そして、全体を支え、包み込むその包括力もまた、

やさしさ、やわらかさ、あたたかさ等も増しながら、

どこまでも増大していくよう、ただ在りたいと思います。

それが、無空庵のただひとつの全体に対する、

全体そのものであるひとりひとりを通した

これ以上ない直接的でまっすぐなアプローチ

(同時にすべてを包み込むま~るいアプローチ)

ただそうであるというアプローチです。

そして、忘れてはならないのは、

この在り方は、多様性として現れた無限にある在り方の中の、

たったひとつでしかないということです。

現われの世界の在り方、スタンスには無限の多様性があり、

また、源から自然にそのように起こってきていて、

それぞれに、それぞれの「これでいい」があります。

現われの世界、自然界には、たくさんの種類の花がありますが、

その中のひとつの花だけが、絶対的に一番素晴らしい、

絶対的に一番きれいだということはありません。

それはただ、それぞれに美しいのです。

あるいは、それぞれがそれぞれにおいて、

絶対的に一番素晴らしく、

絶対的に一番きれいだと言うこともできます。

同じように、多様な在り方、多様なスタンスもまた、比べるものではなく、

それぞれが比類なき「これでいい」、

それぞれがそれぞれにおいて

その一瞬、一瞬において

それぞれのすべての今において

絶対的な「これでいい」です。

それがひとつであるものの中の多様性、自然な姿、自然な在り方です。









ありがとうございました。

無空



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