無空さんのセッション78回目




無空さん

ご返信をありがとうございました

幻想である

闇のエゴに

うっかりと意識を向けてしまい

エネルギーへの加担をしてしまっていたのは

私だったのかもしれません

巻き込まれてしまっているときは

そんな状態だったのだなという感想です

それを

呼び水として

みずからの浄化を起こしていくのは青の特徴かもしれませんね。。

すいません

今回の大騒ぎは

本当に

深く

古いところのエネルギーでもあります




しかし

誰のものであっても

そのエゴを

自分のものとしない



わたしたちは

純粋無垢な

愛そのもの

それである

楽しみを

生きていきます



いつも

新鮮で

明晰

力強く

暖かい「愛」の導きをありがとうございます










青さん

感想ありがとうございました。



無空さん

先ほどはセッションをありがとうございました


もう

本当に日常生活に沁み込んだ幸せを生きております

素晴らしいですね。

何もない幸せとは

このように「在る」のでしょうか

はい。


ありがとうございます




先日も大きな浄化がありました

これは全体からの動きもあった様に思います

個人のものはかなりクリアになっていますからね。

まあ、分けるのはマインドで(識別するのにマインドは必要です。)、

全体だけがあるとも言えますが。


今振り返っても

自分が何をどのように過ごしたのか全く思い出せないのです

前回のセッションとその一週間です。。


いいえ

昨日、今日の合同共鳴がすべてを洗い流したかのようです


ありがとうございました

よかったですね。



さて

共鳴の感想ですが

始めの共鳴は

その響きは世界に響き渡り

過去未来の時空を越えて

愛でした

幸せ~~って感じでした

完全に抜け切っているという感じでした

クリアですね。



アイコンタクトは

さらに微細に

濃厚になっていきました

眉間がとても気持ちよかったです

光とエネルギーが

分け入り

またやさしいものでした

純度が高い状態ですか?と

お尋ねしましたが

そのエネルギーと光の感じを観察しながら

真我と真我の共鳴ってこのことなのかな~?って

思っていました

それは起こっています。



瞑想では

気持ちよくとろけていました

体は完全に消えてなくなって

光だけでした

光が大きく立ち上がっていました

それはだれでもありませんでした

だれでもないもの

それが真の自己

純粋なもの

純粋性そのもの




ハートの共鳴では

マインドが浮上してきておりました

瞑想のときの

いいんですか~?って質問で

いいんですっておっしゃっていただいて

うれしかったんです


どこにもいない無空さんですが

その存在は

今日は

消えていなくなったわけでもなく

さらに微細なところに導いていく

その指し示しだったように思いました

そのように起こっていたかもしれませんね。



立場をかえては

しなやかさは

とても大きかったです

新感覚のいのちの味わいという感じでした

深いというより

自分自身の感度が上がっているのかもしれません

よりクリアになってくると、感じ取る力も自然に増してきますね。


立場なし・ニュートラルでは

ハートの共鳴のときの

マインドの浄化と

神聖さが真ん中で交差しているようでした

神聖さの中で、引き続き、浄化が継続していたという

感じかもしれませんね。




終了後

しばらく

傲慢さに嫌悪感が走っていました



最初のお話を聞いていただいた時間で

何もありませんと言いながら

こんなにあったやん。。。って感じでしょうか


真我は

謙虚に

純真無垢にありながら



エゴは自己を主張しておりました。。。

それに気づいていればOKです。

ただエゴはそうなのだと。

エゴはそういうものなのだと。

それが何かのきっかけで自然に起こってきただけです。

それに気づいて、そのままにしておけば

ゾクチェンの教えの言葉を使わせて頂けば、

それ(エゴ、起こってきたマインド)自ら解脱していきます。

消えていきます。

それが持つ運命に従い、現れている間だけ現れていて、

その後、ただ消えていきます。

何もする必要はありません。

エゴを所有するのは、エゴです。

そのエゴは誰のエゴでもありません。

ただエゴ

一般的なエゴです。

それは、全体の創造の中で、自然に

ある意味、付随して起こってくるものです。

火を起こしたときに一緒に起こってくる煙のようなものです。

それらはセットです。

(それが個人体験を可能にします。)

エゴも、創造の際にセットでついてきます。

(よりクリアになり、また理解が深まってくると、

エゴが一緒に起こってこないケースも増えてきますが、

━あるいは、起こっても透明なエゴ━

悟りの一瞥の後や、悟後の修行の際の新しい体験、

新たな理解等が起こったとき

また、より深まった、より進んだと実感できたようなときにも

エゴはすかさずやってきます(笑)。

その体験、その理解の主体となり、それを自分のものに

しようとします。

それもまた真我からの自然な創造、

宇宙創造の力

個人体験を創造する宇宙的な力、

真我の自然本性(愛)が働いているからでもあり、

その力は自然なもの、本質的には、本源であるところからくるものゆえ

とても強力です。

━それがまた、本源からくる気づき、目覚めにより、

その力(個人創造の力)からの解放も起こっていくのですが━

そのことを読み取れる内容として、いくつか例を挙げれば、

ラマナ・マハルシは

【非常にまれな例を除いて、真我への無知は大変深く根づいており、
個人である探求者にとっては自らの努力でそれからの逃れることはきわめて難しい。】

と言っていますし、

フーマンも、

【カルマは非常に強い。
マーヤ(Maya/幻想)は、とてもパワフルだ。
あなたはそのことに気づきもしない。】

【カルマ(業)やマーヤ(幻想)は非常に強い。
何年も後で、ようやくまた同じ事をしている自分に気づく。
そして、その間いったい自分は何をしていたのか?
途方に暮れる。
長年探求していても、厳しい瞑想修行や強烈なリトリートを続けても、自分が何処にいるか解らない。
同じマインドが、まだあなたと共にある。】

ということを言っています。)


それ(エゴ)は創造、体験にセットでついてくるもの

そしてそれは、けっして個人のものではなく、

一般的なエゴである

と理解しておけば、より安定して在れると思います。

それはそのようなものであると理解し、

また、それは変わらない真実ではないと

ただ気づいていればOKです。

ただそのままにしておいてください。

強く注意を向ける必要もありません。

(もしそれが自然に起これば、

気づきながら、それもそのままにしておきましょう。)

それは意識の中にあっても別にかまわない

くらいの態度で在りましょう。

何かのきっかけで起こってきた一般的なエゴを

私(個人)や

私のエゴ

にしないように。

純粋な存在として在りましょう。

生命そのもの

愛そのもの

幸せそのものとして在りましょう。




聞いていただきありがとうございました



ただ在る

それで

いい

です^^






精進たのしく致します^^

その精進は、もっとも深いところから見れば

真我それ自身

精進が必要ないものから起こる精進

(だから楽しめます。)

それは本性

真我それ自身への愛です。

楽しく精進(愛の現れ)と共に在りましょう。

精進(愛の現れ)も統合して(自然に統合され)、

ひとつであるものとして、ただ在りましょう。




また来週よろしくお願いいたします








こちらこそよろしくお願い致します。

無空












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